CORNELIUS “MUSIC”
「フリッパーズギター」というユニットで小沢健二さんとともにデビューし、解散後は「コーネリアス」というソロプロジェクト(ひとりユニット)や「METAFIVE」で現在まで活動。私も大好きな「ピチカートファイブ」や「カヒミカリィ」をプロデュースし、「渋谷系」という音楽で一時代を築いたミュージシャン、小山田圭吾さんがこの度東京オリンピック開会式・閉会式の楽曲制作のメンバーに入られました。非常に名誉なことだと思います。
ところが悲しいことに、その後小山田さんの名前がSNSでトレンドとなり、大炎上となっております。今から27年も前に掲載された「イジメ告白」の記事が拡散されました。小学生のころに知的障害のあった同級生をいじめていたという事実と、それを全く悪びれていないかのような書き方の記事です。小山田さんの音楽を知っている人も、多分知らない人もみんな寄ってたかってSNSで非難し、袋叩きにしています。
いじめは犯罪であり、絶対に許されるものではありません。しかし、その「前科」があるからと言って彼の作品を否定したり、イベントへの参加を非難したりすることは間違っています。
私は幼稚園のころから壮絶、もう「超絶」と言った方が良いと思うほどの、大いにいじめられてきた少年時代を送ってきました。逃げ出すには死ぬしかない、何度も死にたいと考えました。我ながら理不尽な仕打ちによく耐えました。両親をはじめとして多くの大人たちに助けてもらいました。何とか私は大人になり、社会人として適応することができました。沢山のいじめに遭って大人になった私は現在、いじめについて以下のように考えるようになりました。
「いじめ」は実は、子供の暴行、傷害、恐喝、窃盗、器物破損、詐欺といった(多くの場合集団による一人に対しての)犯罪をオブラートに包んでいるだけの言葉です。いじめは犯罪行為です。ですから、これに対する学校の責任はそれを予防し未然に防ぐことであり、そのいじめの行為が起きてしまった場合は学校に解決なんてできません。起きてしまった「犯罪」は、司法によって解決すべきものです。万が一自分の子供がそのような目に遭ってしまった場合は、私は即座に犯罪の被害者として証拠を突きとめ刑事告発するなどの対応をとるでしょう。最近「イジメられたら強くなってやり返せ」と言うユーチューバーが非難を浴びていました。当たり前です、それは犯罪の幇助でしかない。相変わらず「イジメられる方が悪い」と言う人がいます。犯罪行為の被害者が悪いということは「レイプされるのは着ていた服装が悪い」と言うのと同じレベルの発言であり、軽蔑されるべきものです。
問題となった「イジメ告白」の記事は、小山田圭吾さんをインターネットで検索したことがあるならば以前から知っている人も多かったのではないかと思います。私も数年前に記事を読んだときは強くショックを受けました。しかし、それでカヒミカリイさんの名曲や、METAFIVEの新譜を二度と聴きたくないとは思いませんでした。その理由は多くの著名人が指摘する通りです。クリエイター個人の性格やプライベートな経緯と、作品の価値は全く別物であるからです。
27年前、小山田さんが20代後半のころに記載された40年以上前の「犯罪」の告白、その行為は絶対に許されるものではありません。犯罪行為に対する「前科者」とも言えるでしょう。犯罪行為に対して悪びれや反省が無い様に見える記事にしたことも、結果的には個人の「失敗」、「汚点」ということになったのかもしれません。しかし、どうか想像してみてください。果たして御本人は本当に、少年時代の悪事に対して何の葛藤も持たずに人生を過ごしてこられたのでしょうか?
昨日16日夕方のご本人のツイートです。このツイートがなくても同じことを書こうと思っていたのですが、私は文章を拝読して正直安堵いたしました。「長らく罪悪感を抱えていた」とあります。「イジメたほうが悪い」という前提に立つとして、いじめという犯罪に手を染めた子供には、多くの場合「悪く」なった理由や背景というものがあるものです。それは両親の不仲かもしれない、貧困かもしれない、いじめる対象となった子への嫉妬かもしれない。小山田さんの背景に何があったのかは分かりませんが、結果として「いじめる」という行為に至ってしまうことになり、そしてその事実に対して小山田さんは40年以上にわたって葛藤を続けてこられた、そういったことが文章から伺えます。このような文章は所属する組織に促されて、もしくはゴーストライターがテンプレートを作って書けるようなものではないでしょう。僭越ながら申し上げると(もう十分に目上の方に僭越な文章ですが)、小山田さんは最大限の誠実な発信をされたのではないかと思います。
SNSを見ると、多くの批判のコメントは「いじめられっ子」だった方々からのものです。「イジメられたことで人生を狂わされた」、「イジメのせいで社会に出られず引きこもりになった」、「あの頃イジメていたやつらが平然と暮らしているのが許せない」、全くその通りです。私はいくらかの幸運に恵まれ、学校で成績上位に入って偏差値の高い学部に進学することで、過去に私をいじめていた子たちを「見返してやる」ことが出来ました。だから今、いじめっ子に対して思いを馳せる余裕を持てているだけだ、ということなのかもしれません。
東京オリンピックの開催そのものに対する批判とつながっているということもあるかもしれません。元々の音楽監督は椎名林檎さんでしたが、それが解散となってしまい、現在の「クリエイティブチーム」となって小山田さんが選出されました。しかし、ツイートの文面をどうかよく読んでいただきたいです。小山田さんはこのオリンピックに参画することに対しても葛藤され、そのことにも言及されています。「いじめっ子」も一人の人間です。「小山田圭吾氏辞職」というハッシュタグをつけて批判する人々にお尋ねしたい。いじめという「犯罪」の「前科」が無かったとしても、これまでの人生で「失敗」や「汚点」となることがひとつもなかったと言える人がどれほどいらっしゃいますか? 罪を憎んで人を憎まず、いじめは憎まれるべきものですが、小山田さんは憎まれるべき人ではないはずです。
長い文章になってしまいましたが、7月23日のオリンピック開会式を心から楽しみにしております。
今日はなかなか朝に持って来づらいw「コーネリアス」の楽曲から、代表曲のひとつを選曲いたしました。2006年リリースですから意外と最近の曲なのですね。MVもとても面白いです。ぜひ「十四の心と耳」でお聴きくださいm(__)m
起床音楽では過去何度も小山田圭吾さん作曲・プロデュース、もしくは演奏で参加された曲を流してきました。こちらもぜひお聴きください。