Taylor Swift “Mean”
精神科医師、公認心理師の起床音楽係です。今年も8月31日がやってきました。最近の学校は2学期を9月1日よりも早めに始めることが多くなったようですが、それでもこの8月下旬の時期が子供の自殺の増加する時期であることに変わりはありません。自殺既遂として表面化するものはごく少数でもそれは氷山の一角であり、そこまで至らなかった多くの自殺未遂やその手前の、極めてストレスの高い状態に置かれた子供がかなり多数いらっしゃるという事実があります。なぜ日本がそのような、子どもに対して残酷な社会の仕組みになってしまったのか、どうすればその状況を改善できるのか、学校や児童思春期をつかさどる関係者だけではなく、国民一人一人が考えていかなくてはなりません。
本来「勉強」は純粋な自己研鑽の場であるはずです。自分にとって興味あるものから優先順位を決め、自分のリズムで理解を深めるものであるはずです。大人になってからの勉強がまさにそうなのですから、「大人と子供は別」ということはないはずです。なのに私たちは子供に向かって「勉強しろ!」、「なんで勉強しないの?」、「なぜ宿題が終わってないの?普通考えたらわかるだろ!」、「早く起きろ!学校に遅刻するぞ!」と言ってしまいます。どうしてでしょうか? 親から「勉強しろ」と言われて勉強しなかったことを後悔する話はよく聞きますが、親から「勉強しろ」と言われて勉強ができたことを感謝した話を聞いたことはありません。私は平均値より勉強したほうだとは思いますが、「勉強しろ」と言った両親への感謝の気持ちはありません。
あたかも子供たちにとって学校は、決まった時間にその場所にいなくてはならない「職場」となっており、学校に行くことが「仕事」になっているかのようです。さっきの罵声を「仕事」に置き換えてみましょう。「仕事しろ!」、「なんで仕事しないの?」、「なぜタスクが終わっていないんだ?普通考えたらわかるだろ!」、「早く起きろ!職場に遅刻するぞ!」、、、上司が言えばパワハラの認定は免れませんね。そして最後の「遅刻するぞ!」の違和感のなさには、学校が子供たちにとっていかに義務感(やらされてる感)のある「職場」になっているかを思い知らされます。
最近学校現場で不登校の生徒対応などのアドバイスをさせていただくことも多くなったのですが、学校の先生ってほんと、学校に来れていることが「健全」だと思い込んでいる人が多いです。不登校の子供をどうすれば遅刻早退なく学校に来させることが出来るか、「正常化」することを目標にしている先生が多いんです。面前では言えませんけど、これは大きな間違いです。不登校の子どもへの対応が「いかに登校させるか?」では問題は解決しないことが多いです。解決のためには、登校する以外に本人のストレスを軽減する方法、勉強を充実させるための選択肢をいかに沢山提案できるかが重要なのです。
学校のクラスは同世代、公立であれば同地区の子供たちがランダムに集められた場です。今日は詳細を申し上げませんが様々な背景の子どもたちがいますので、残念ながらその中で暴力、強奪、詐欺などの犯罪、そこまで行かなくても足の引っ張り合い、暴言や誹謗中傷、スクールカーストが生まれる。私たち日本社会はそれを全て「いじめ」という言葉でひっくるめオブラートで包んで、、、いやもっと悪い言い方をすれば、「いじめ」という言葉で隠蔽し事実から目を背けているのです。
私は「元いじめられっ子」として、これまでも毎年この時期に学校教育のことを話題に挙げ提言してまいりました。一貫していることは、「学校に行きたくないならば行かなくて良い」ということです。学校の教師たちが「正常」と思い込んでいる「登校する」ということをしなくても良く、それ以外の行動の選択肢は無限にあるということです。正常に遅刻なく毎日登校するか、もしくはストレスと罪悪感に苛まれ自殺を選ぶか、(視野狭窄の影響ももちろんありますが)その2つ以外の選択肢がなくなってしまう不幸な子どもたちがこれ以上生まれないようにしたい。そのために私は2019年の9月2日にポリシックスの名曲で「学校なんてたいしたとこじゃねえ!」と学校の教師や我々大人たちの不完全さを強調して、盲目的に学校や大人たちの指示に服従することの愚かさを発信しました。昨年の9月1日はベン・フォールズ・ファイヴの痛快なロックを和訳し、学校に行かないこと、逃げることは負けではない、「SURVIVE、生き残れ!」というメッセージを発信しました。
子どもたちにはもっと純粋に「勉強」を楽しんでほしい。残酷に登校時間、宿題提出期限、テストの評価を課される今の日本の学校は、ありゃあ、「職場」だよ。そんなところに無理して行かなくてもいいけど、まあ、学校に行きたいなら行ってもいい。ただ2学期始業式から学校に行くとしても、決まった時間に行く必要があるのか?あと30分長く寝たいなら30分遅れて学校に行っても良いだろう。夏休みの宿題を8月31日から始めてシルバーウイークの連休中に終わっても良いだろう。解答丸写しでも課題は達成されているだろう。そもそも学校のテストが100点じゃなくて良いだろう。90点で良いでしょう。
真面目な子どもほど、自分を「90点」と評価できなくて、満点をとれなかった「マイナス10点」の部分に注目してしまいがちになります。もちろんマイナスの部分を無視しろとは言わないけど、自分のできないところを意識しすぎて「90点」なのに「0点」みたいな自己評価をしないでほしい。過大評価することはきっとないだろうけど、自分を過小評価しすぎないように子どもたちを導かなくてはならないのです。90点とった子どもに「もっと勉強しろ!」と叱るすべての親御さんたち、あなたが叱れば叱るほどお子様は「マイナス10点」に苛まれ自己否定感を強めますよ。自分の胸に手を当てて反省して、おととい来やがれ、いや失礼、おとといから出直してみてはいかがでしょうか。
本来起床音楽は「起床音楽」というほどですから朝に投稿しなければならないのですが、言いたいことをしっかり書かないといけないと思ったので、お昼休みの投稿になりました。皆様はそれを聴いて「別にいいじゃないか」と思うでしょう。私にとって毎日の音楽紹介のブログ投稿は音楽の勉強、「自己研鑽」の場です。だったら、子供の「自己研鑽」の場であってもそのような声掛けで良くないですか? よろしければ、ご自身や周りの子どもたちに対しても「別にいいじゃないか」と言えませんか? 夏休みの宿題が終わってない?「別にいいじゃないか?」テストで赤点?「別にいいじゃないか?」学校行かなかった「別にいいじゃないか?」、、、でもいじめは自己研鑽ではなくれっきとした犯罪ですから「別に」というわけにはまいりませんよね。そういう対応の区別も明確になるんじゃないかと思うんです。
今日の起床音楽は「#8月31日の夜に」にちなんで、カントリーミュージックからキャリアを始めたシンガーソングライター「テイラー・スウィフト」さんの名曲です。ご自身の経験にもちなんでいるとのことで、和訳歌詞を載せた動画を先頭にもってまいりました。ぜひお聴きください。私のできることは微力ですが、少しでも多くの子どもたちがこれからも安全に健康に過ごせることを祈っております。